Surah Al-Lail
بِسْمِ اللّٰهِ الرَّحْمٰنِ الرَّحِيْمِ
وَالَّيْلِ اِذَا يَغْشٰىۙ١
Wal-laili iżā yagsyā.
[1]
(その闇によって、大地を)覆う夜にかけて、¹
1 アーヤ*1-3における、アッラー*によるこの誓いについては、整列者章1の訳注を参照。
وَالنَّهَارِ اِذَا تَجَلّٰىۙ٢
Wan-nahāri iżā tajallā.
[2]
また、(その光で闇から)露わになった昼にかけて、
وَمَا خَلَقَ الذَّكَرَ وَالْاُنْثٰىٓ ۙ٣
Wa mā khalaqaż-żakara wal-unṡā.
[3]
また、男性と女性を創ったもの¹にかけて(誓う)。
1 つまり、「その創造」という意味。あるいは「アッラー*」のこと(アル=クルトゥビー20:80-81参照)。
اِنَّ سَعْيَكُمْ لَشَتّٰىۗ٤
Inna sa‘yakum lasyattā.
[4]
本当にあなた方の行いは、実に多様¹である。
1 行いの種類、量、そこにおける活力、目的などにおいて「多様」である(アッ=サアディー926頁参照)。
فَاَمَّا مَنْ اَعْطٰى وَاتَّقٰىۙ٥
Fa ammā man a‘ṭā wattaqā.
[5]
(自分の財産を)与え¹、(アッラー*を)畏れ*、
1 アッ=サアディー*によれば、これは浄財*、施(ほどこ)し 、扶養(ふよう)などといった、財産による崇拝*行為において「与える」ことを始め、礼拝や斎戒*などの身体による崇拝*行為、あるいは巡礼*などの、財産と身体のいずれにも関連した崇拝*行為において自らの義務を果たすこと(926頁参照)。
وَصَدَّقَ بِالْحُسْنٰىۙ٦
Wa ṣaddaqa bil-ḥusnā.
[6]
最善のもの¹を信じる者はといえば、
1 この「最善のもの」とは、シャハーダ*の言葉と、それが要求するもの、そしてそれによって得られる褒美のこととされる(ムヤッサル595頁参照)。 婦人章95の同語についての訳注も参照。
فَسَنُيَسِّرُهٗ لِلْيُسْرٰىۗ٧
Fa sanuyassiruhū lil-yusrā.
[7]
われら*が彼を、(善、正しさ、あらゆる物事における)容易さへと導いてやろう。¹
1 一説にこのアーヤ*は、マッカ*時代、抑圧されていた弱い奴隷*たちを解放していたアブー・バクル*に関して下ったものとされる(アッ=タバリー10:8674参照)。アーヤ*17の訳注も参照。
وَاَمَّا مَنْۢ بَخِلَ وَاسْتَغْنٰىۙ٨
Wa ammā man bakhila wastagnā.
[8]
そして、(財産を)出し惜しみし、(主*の褒美なしでも)十分だと主張し、
وَكَذَّبَ بِالْحُسْنٰىۙ٩
Wa każżaba bil-ḥusnā.
[9]
最善のもの¹を噓呼ばわりした者はといえば、
1 この「最善のもの」については、アーヤ*6の訳注を参照。
فَسَنُيَسِّرُهٗ لِلْعُسْرٰىۗ١٠
Fa sanuyassiruhū lil-‘usrā.
[10]
われら*が彼を、困難へと導てやろう。¹
1 アッラー*は善を志した者には、そこへとお導きになることでお報いになり、悪を志した者には、失敗という応報を与えられる。そしてその全ては、定められた運命なのである(イブン・カスィール8:417参照)。
وَمَا يُغْنِيْ عَنْهُ مَالُهٗٓ اِذَا تَرَدّٰىٓۙ١١
Wa mā yugnī ‘anhu māluhū iżā taraddā.
[11]
そして、彼の財産は彼に役立たない、彼が(業火へと)転落してしまった¹時には。
1 あるいは、「死んでしまった」という意味(アル=クルトゥビー20:85参照)。
اِنَّ عَلَيْنَا لَلْهُدٰىۖ١٢
Inna ‘alainā lal-hudā.
[12]
本当にわれら*にこそ、導き(の解明)が属するのであり、
وَاِنَّ لَنَا لَلْاٰخِرَةَ وَالْاُوْلٰىۗ١٣
Wa inna lanā lal-ākhirata wal-ūlā.
[13]
本当にわれら*こそ、来世と最初のもの(現世)が属するのだ。
فَاَنْذَرْتُكُمْ نَارًا تَلَظّٰىۚ١٤
Fa anżartukum nāran talaẓẓā.
[14]
ならば(人々よ)、われら*はあなた方に、燃え盛る(地獄の)業火を警告した。
لَا يَصْلٰىهَآ اِلَّا الْاَشْقَىۙ١٥
Lā yaṣlāhā illal-asyqā.
[15]
そこに入って炙られるのは、最も不幸な者だけ。
الَّذِيْ كَذَّبَ وَتَوَلّٰىۗ١٦
Allażī każżaba wa tawallā.
[16]
(預言者*ムハンマド*を)噓つき呼ばわりし、(信仰に)背を向けた者。
وَسَيُجَنَّبُهَا الْاَتْقَىۙ١٧
Wa sayujannabuhal-atqā.
[17]
そして、敬虔な*者¹は、そこから免れることになろう。
1 一説に、この「敬虔*な者」とはアブー・バクル*を指しているとされるが、アーヤ*18-20のような特質を備えているほかの全ての者も、ここに含まれるとされる(イブン・カスィール8:422参照)。
الَّذِيْ يُؤْتِيْ مَالَهٗ يَتَزَكّٰىۚ١٨
Allażī yu'tī mālahū yatazakkā.
[18]
自らを努めて清め¹つつ、自分の財産を与える者は。
1 「自らを努めて清める」ことについては、ター・ハー章76、至高者*章14の訳注を参照。
وَمَا لِاَحَدٍ عِنْدَهٗ مِنْ نِّعْمَةٍ تُجْزٰىٓۙ١٩
Wa mā li'aḥadin ‘indahū min ni‘matin tujzā.
[19]
彼には、誰かに対して返すべき恩があ(って、それゆえに財産を与え)るわけではない。
اِلَّا ابْتِغَاۤءَ وَجْهِ رَبِّهِ الْاَعْلٰىۚ٢٠
Illabtigā'a wajhi rabbihil-a‘lā.
[20]
しかし、至高なる*自分の主*の御顔を求めるがゆえなのであり、
وَلَسَوْفَ يَرْضٰى ࣖ٢١
Wa lasaufa yarḍā.
[21]
彼は必ずや、(天国で彼が授かるものに)満足することになろう。