Surah Al-Gasyiyah

Daftar Surah

بِسْمِ اللّٰهِ الرَّحْمٰنِ الرَّحِيْمِ
هَلْ اَتٰىكَ حَدِيْثُ الْغَاشِيَةِۗ١
Hal atāka ḥadīṡul-gāsyiyah(ti).
[1] (使徒*よ、)圧倒的事態¹の話は、あなたに届いたか?
1 「圧倒的事態」とは、その恐怖で人々を圧倒する、復活の日*のこと(ムヤッサル592頁参照)。

وُجُوْهٌ يَّوْمَىِٕذٍ خَاشِعَةٌ ۙ٢
Wujūhuy yauma'iżin khāsyi‘ah(tun).
[2] その日、(不信仰者*たちの)顔は、(懲罰への)恐怖に陥っている。

عَامِلَةٌ نَّاصِبَةٌ ۙ٣
‘Amilatun nāṣibah(tun).
[3] (それらの顔は、過酷な)労役に就き、消耗している。

تَصْلٰى نَارًا حَامِيَةً ۙ٤
Taṣlā nāran ḥāmiyah(tan).
[4] (それらは、)酷熱の業火に入って炙られる。

تُسْقٰى مِنْ عَيْنٍ اٰنِيَةٍ ۗ٥
Tusqā min ‘ainin āniyah(tin).
[5] (それらは、)煮えたぎる泉から、飲まされる。¹
1 地獄の民の飲食物については、洞窟章29、イブラーヒーム*章16-17、整列者章62-66、サード章57-58、煙霧章43-46、ムハンマド*章15、出来事章52-55、衣を纏(まと)う 者章13、真実章36-37なども参照。

لَيْسَ لَهُمْ طَعَامٌ اِلَّا مِنْ ضَرِيْعٍۙ٦
Laisa lahum ṭa‘āmun illā min ḍarī‘(in).
[6] 彼らには、忌々しい植物¹しか、食べ物がない。
1 「忌々しい植物」の解釈には、「炎の木」「ザックーム(夜の旅章60「呪われた木」の訳注を参照)」「棘のある植物の一種」といった諸説がある(イブン・カスィール8:385参照)。

لَّا يُسْمِنُ وَلَا يُغْنِيْ مِنْ جُوْعٍۗ٧
Lā yusminu wa lā yugnī min jū‘(in).
[7] (それらは彼らを)太らせもしなければ、(彼らの)飢えを満たしてもくれない。

وُجُوْهٌ يَّوْمَىِٕذٍ نَّاعِمَةٌ ۙ٨
Wujūhuy yauma'iżin nā‘imah(tun).
[8] (復活の)その日、(信仰者たちの)顔は、恩恵を享受している。

لِّسَعْيِهَا رَاضِيَةٌ ۙ٩
Lisa‘yihā rāḍiyah(tun).
[9] (それらは、)自分たちの(現世で行った)努力(への褒美)ゆえに満足している、

فِيْ جَنَّةٍ عَالِيَةٍۙ١٠
Fī jannatin ‘āliyah(tin).
[10] 高き楽園の中で。

لَّا تَسْمَعُ فِيْهَا لَاغِيَةً ۗ١١
Lā tasama‘u fīhā lāgiyah(tan).
[11] (それらは、)そこで戯言¹を耳にすることもない。
1 「戯言については、信仰者たち章3の同語の訳注を参照(アッ=サアディー921頁参照)。

فِيْهَا عَيْنٌ جَارِيَةٌ ۘ١٢
Fīhā ‘ainun jāriyah(tun).
[12] そこには、流れる泉がある。

فِيْهَا سُرُرٌ مَّرْفُوْعَةٌ ۙ١٣
Fīhā sururum marfū‘ah(tun).
[13] そこには、高い寝台がある。

وَّاَكْوَابٌ مَّوْضُوْعَةٌ ۙ١٤
Wa akwābum mauḍū‘ah(tun).
[14] また、配置された杯、

وَّنَمَارِقُ مَصْفُوْفَةٌ ۙ١٥
Wa namāriqu maṣfūfah(tun).
[15] 並べられた肘掛け、

وَّزَرَابِيُّ مَبْثُوْثَةٌ ۗ١٦
Wa zarābiyyu mabṡūṡah(tun).
[16] 敷き広げられた絨毯がある。

اَفَلَا يَنْظُرُوْنَ اِلَى الْاِبِلِ كَيْفَ خُلِقَتْۗ١٧
Afalā yanẓurūna ilal-ibili kaifa khuliqat.
[17] 一体、彼ら(不信仰者*たち)は、ラクダがいかに創られたのか、見て(考え)ないのか?

وَاِلَى السَّمَاۤءِ كَيْفَ رُفِعَتْۗ١٨
Wa ilas-samā'i kaifa rufi‘at.
[18] また天が、いかに上げられたのかを?

وَاِلَى الْجِبَالِ كَيْفَ نُصِبَتْۗ١٩
Wa ilal-jibāli kaifa nuṣibat.
[19] また、山々がいかに据え付けられたのかを?

وَاِلَى الْاَرْضِ كَيْفَ سُطِحَتْۗ٢٠
Wa ilal-arḍi kaifa suṭiḥat.
[20] また、大地がいかに平坦に伸ばされたかを?

فَذَكِّرْۗ اِنَّمَآ اَنْتَ مُذَكِّرٌۙ٢١
Fa żakkir, innamā anta mużakkir(un).
[21] ならば(使徒*よ、人々に、啓示で)教訓を与えよ。あなたは教訓を与える者でしかないのだから。

لَّسْتَ عَلَيْهِمْ بِمُصَيْطِرٍۙ٢٢
Lasta ‘alaihim bimusaiṭir(in).
[22] あなたは、彼らに対(して信仰へと無理強い)する制圧者などではない。

اِلَّا مَنْ تَوَلّٰى وَكَفَرَۙ٢٣
Illā man tawallā wa kafar(a).
[23] 但し、(教訓に)背を向け、不信仰(の固執)に陥った者は別で、

فَيُعَذِّبُهُ اللّٰهُ الْعَذَابَ الْاَكْبَرَۗ٢٤
Fa yu‘ażżibuhullāhul-‘ażābal-akbar(a).
[24] アッラー*は彼を(、業火という)最大の懲罰で罰される。

اِنَّ اِلَيْنَآ اِيَابَهُمْ٢٥
Inna ilainā iyābahum.
[25] 本当にわれら*にこそ、彼らの(死後の)帰り所があるのだから。

ثُمَّ اِنَّ عَلَيْنَا حِسَابَهُمْ ࣖ٢٦
Ṡumma inna ‘alainā ḥisābahum.
[26] それから、本当にわれら*にこそ、彼らの(行いの)清算が委ねられているのだから。