Surah An-Nazi’at

Daftar Surah

بِسْمِ اللّٰهِ الرَّحْمٰنِ الرَّحِيْمِ
وَالنّٰزِعٰتِ غَرْقًاۙ١
Wan-nāzi‘āti garqā(n).
[1] (不信仰者*の魂を、)力任せに引き離すものにかけて、¹
1 アーヤ*1-5で言及されている「誓い」については、整列者章1の訳注を参照。 なお、これらのアーヤ*で誓われているものは全て天使*たちのことを指しているとされる(ムヤッサル583頁参照)が、アーヤ*5 を除いては、「星のこと」を表す、といった別説もある(イブン・カスィール8:312-313参照)。アーヤ*1-2で言及されている、不信仰者*と信仰者の「魂を抜く」ことに関しては、家畜章93とその訳注を参照。

وَّالنّٰشِطٰتِ نَشْطًاۙ٢
Wan-nāsyiṭāti nasyṭā(n).
[2] また、(信仰者の魂を)さっと引き抜くものにかけて、

وَّالسّٰبِحٰتِ سَبْحًاۙ٣
Was-sābiḥāti sabḥā(n).
[3] また、(天空を)自在に飛び回るものにかけて、

فَالسّٰبِقٰتِ سَبْقًاۙ٤
Fas-sābiqāti sabqā(n).
[4] また、(アッラー*のご命令の遂行へ、)我先にと先んずるものにかけて、

فَالْمُدَبِّرٰتِ اَمْرًاۘ٥
Fal-mudabbirāti amrā(n).
[5] また、(アッラー*から委任された)ご命令を司るもの¹にかけて(誓う。あなた方は蘇らされ、清算を受けるのである)、
1 アッラー*から啓示を授かり、それを預言者*たちへと伝える天使*たちのこと(ムヤッサル583頁参照)。

يَوْمَ تَرْجُفُ الرَّاجِفَةُۙ٦
Yauma tarjufur-rājifah(tu).
[6] 激震するものが、激震する日に。¹
1 「激震するもの」とは大地のことで、これは全てのものに死がもたらされる、一回目の角笛(家畜章73の訳注も参照)のこととされる(前掲書、同頁参照)。

تَتْبَعُهَا الرَّادِفَةُ ۗ٧
Tatba‘uhar-rādifah(tu).
[7] 後続のもの¹が、それに続く。
1 これは復活を知らせる、二回目の角笛(家畜章73の訳注も参照)のこととされる(ムヤッサル583頁参照)。

قُلُوْبٌ يَّوْمَىِٕذٍ وَّاجِفَةٌۙ٨
Qulūbuy yauma'iżiw wājifah(tun).
[8] その日、(不信仰者*たちの)心は震撼する。

اَبْصَارُهَا خَاشِعَةٌ ۘ٩
Abṣāruhā khāsyi‘ah(tun).
[9] その眼は怖気づいている。

يَقُوْلُوْنَ ءَاِنَّا لَمَرْدُوْدُوْنَ فِى الْحَافِرَةِۗ١٠
Yaqūlūna a'innā lamardūdūna fil-ḥāfirah(ti).
[10] 彼ら(復活を否定する者たち)は、言う。「一体(死後)、本当に私たちが(生)前の状態に、戻される身だと?

ءَاِذَا كُنَّا عِظَامًا نَّخِرَةً ۗ١١
A'iżā kunnā ‘iẓāman nakhirah(tan).
[11] 私たちが、朽ち果てた骨となった後に?」

قَالُوْا تِلْكَ اِذًا كَرَّةٌ خَاسِرَةٌ ۘ١٢
Qālū tilka iżan karratun khāsirah(tun).
[12] 彼らは言った。「それは、そうであるならば、損な戻り様だ」。¹
1 これはアッラー*の御力に対する無知さと、不遜さから、復活をあり得ないこととして言った言葉とされる(アッ=サアディー908頁参照)。

فَاِنَّمَا هِيَ زَجْرَةٌ وَّاحِدَةٌۙ١٣
Fa innamā hiya zajratuw wāḥidah(tun).
[13] それは、ただの一喝に過ぎない。

فَاِذَا هُمْ بِالسَّاهِرَةِۗ١٤
Fa iżā hum bis-sāhirah(ti).
[14] するとどうであろう、彼らは(地中から蘇らされ、生きた状態で)地表¹にあるのだ。
1 この「地表」については、イブラーヒーム*章48も参照(イブン・カスィール8:314参照)。

هَلْ اَتٰىكَ حَدِيْثُ مُوْسٰىۘ١٥
Hal atāka ḥadīṡu mūsā.
[15] (使徒*よ、)あなたのもとに、ムーサー*の話は届いたか?

اِذْ نَادٰىهُ رَبُّهٗ بِالْوَادِ الْمُقَدَّسِ طُوًىۚ١٦
Iż nādāhu rabbuhū bil-wādil-muqaddasi ṭuwā(n).
[16] 彼の主*がトゥワー¹の聖なる谷で、彼をお呼びになった時のこと。²
1 「トゥワー」については、ター・ハー章12の同語の訳注を参照。 2 この出来事は、ター・ハー章10以降、蟻章7以降、物語章29以降に詳しい。

اِذْهَبْ اِلٰى فِرْعَوْنَ اِنَّهٗ طَغٰىۖ١٧
Iżhab ilā fir‘auna innahū ṭagā.
[17] (アッラー*は、彼に仰せられた。)「フィルアウン*のところへ行け。本当に彼は、(われら*への反逆者として)ひどく放埓なのだから。

فَقُلْ هَلْ لَّكَ اِلٰٓى اَنْ تَزَكّٰىۙ١٨
Fa qul hal laka ilā an tazakkā.
[18] そして、(彼に)言うのだ。『あなたに、ご自身を清める¹おつもりはありますか?
1 不信仰と放埓さの汚れを清め、信仰と正しい行い*を身につけること(アッ=サアディー909頁参照)。

وَاَهْدِيَكَ اِلٰى رَبِّكَ فَتَخْشٰىۚ١٩
Wa ahdiyaka ilā rabbika fa takhsyā.
[19] そして私があなたを、あなたの主*へと導き、それによってあなたが(かれを)恐れるようになる(おつもりは)?』」

فَاَرٰىهُ الْاٰيَةَ الْكُبْرٰىۖ٢٠
Fa arāhul-āyatal-kubrā.
[20] それで彼(ムーサー*)は、彼(フィルアウン*)に最大の御徴¹を披露し、
1 「最大の御徴」とは、手と杖の軌跡とされる(ムヤッサル584頁参照)。高壁章107-108、詩人たち章32-33も参照。

فَكَذَّبَ وَعَصٰىۖ٢١
Fa każżaba wa ‘aṣā.
[21] 彼(フィルアウン*)は(ムーサー*を)噓つき呼ばわりして、(自らの主*に)逆らった。

ثُمَّ اَدْبَرَ يَسْعٰىۖ٢٢
Ṡumma adbara yas‘ā.
[22] それから彼(フィルアウン*)は、(ムーサー*への対抗心に)躍起になって(信仰から)背をむけ、

فَحَشَرَ فَنَادٰىۖ٢٣
Fa ḥasyara fanādā.
[23] (自国の民を)召集して、呼びかけ、

فَقَالَ اَنَا۠ رَبُّكُمُ الْاَعْلٰىۖ٢٤
Fa qāla ana rabbukumul-a‘lā.
[24] 言った。「私が、あなた方の至高の主*である」。

فَاَخَذَهُ اللّٰهُ نَكَالَ الْاٰخِرَةِ وَالْاُوْلٰىۗ٢٥
Fa akhażahullāhu nakālal-ākhirati wal-ūlā.
[25] それでアッラー*は彼(フィルアウン*)を、後のもの(来世)と初めのもの(現世)の懲罰¹で罰された。
1 現世における彼らの懲罰については、ユーヌス*章90-92、ター・ハー章78、詩人たち章66を参照。また、来世における懲罰については、赦し深いお方章46も参照。

اِنَّ فِيْ ذٰلِكَ لَعِبْرَةً لِّمَنْ يَّخْشٰى ۗ ࣖ٢٦
Inna fī żālika la‘ibratal limay yakhsyā.
[26] 本当にその中にはまさしく、恐れる者への教示があるのだ。

ءَاَنْتُمْ اَشَدُّ خَلْقًا اَمِ السَّمَاۤءُ ۚ بَنٰىهَاۗ٢٧
A'antum asyaddu khalqan amis-samā'u banāhā.
[27] (人々よ、)一体あなた方(の死後の再生)が、より創造に難いのか?それとも、天(の創造)か?かれがそれ(天)を、築かれたのである。

رَفَعَ سَمْكَهَا فَسَوّٰىهَاۙ٢٨
Rafa‘a samkahā fa sawwāhā.
[28] かれは(天の)その高みをお上げになり、それを(完璧に)整えられ¹、
1 天が完璧に整えられたことに関しては、カーフ章6、王権章3を参照。

وَاَغْطَشَ لَيْلَهَا وَاَخْرَجَ ضُحٰىهَاۖ٢٩
Wa agṭasya lailahā wa akhraja ḍuḥāhā.
[29] その夜を(日没によって)闇とされ、(日の出によって)その光をお出しになった。

وَالْاَرْضَ بَعْدَ ذٰلِكَ دَحٰىهَاۗ٣٠
Wal-arḍa ba‘da żālika daḥāhā.
[30] また、大地は、(天の創造の)その後に平に広げられ、

اَخْرَجَ مِنْهَا مَاۤءَهَا وَمَرْعٰىهَاۖ٣١
Akhraja minhā mā'ahā wa mar‘āhā.
[31] そこからその水と、(家畜に)食ませるものをお出しになり、

وَالْجِبَالَ اَرْسٰىهَاۙ٣٢
Wal-jibāla arsāhā.
[32] 山々を堅固にされた、

مَتَاعًا لَّكُمْ وَلِاَنْعَامِكُمْۗ٣٣
Matā‘al lakum wa li'an‘āmikum.
[33] あなた方と、あなた方の家畜の利益のために。

فَاِذَا جَاۤءَتِ الطَّاۤمَّةُ الْكُبْرٰىۖ٣٤
Fa iżā jā'atiṭ-ṭāmmatul-kubrā.
[34] そして、この上ない大難¹が到来した時(、人々は蘇らされる)。
1 あらゆる恐ろしい物事の上をいく最大の災難である「この上ない大難」とは、清算と報いが行われる復活の時のこと(アル=カースィミー17:6053参照)。

يَوْمَ يَتَذَكَّرُ الْاِنْسَانُ مَا سَعٰىۙ٣٥
Yauma yatażakkarul-insānu mā sa‘ā.
[35] 人間が、(現世で自分の行いを見せられ、)自分が勤しんでいた(善いこと、悪い)ことを思い出す日、

وَبُرِّزَتِ الْجَحِيْمُ لِمَنْ يَّرٰى٣٦
Wa burrizatil-jaḥīmu limay yarā.
[36] また、見る者の眼に、火獄が露わになる(日に)。

فَاَمَّا مَنْ طَغٰىۖ٣٧
Fa ammā man ṭagā.
[37] それで(アッラー*のご命令に対して放埓で、

وَاٰثَرَ الْحَيٰوةَ الدُّنْيَاۙ٣٨
Wa āṡaral-ḥayātad-dun-yā.
[38] 現世の生活を(来世よりも)好んだ者はといえば、

فَاِنَّ الْجَحِيْمَ هِيَ الْمَأْوٰىۗ٣٩
Fa innal-jaḥīma hiyal-ma'wā.
[39] 本当に火獄こそが、(その)住処である。

وَاَمَّا مَنْ خَافَ مَقَامَ رَبِّهٖ وَنَهَى النَّفْسَ عَنِ الْهَوٰىۙ٤٠
Wa ammā man khāfa maqāma rabbihī wa nahan-nafsa ‘anil-hawā.
[40] そして自分の主*の立ち所¹(での清算)を怖れ、自らに(罪深いことへの)私欲を禁じた者はといえば、
1 「自分の主の立ち所」については、イブラーヒーム*章14の訳注を参照。

فَاِنَّ الْجَنَّةَ هِيَ الْمَأْوٰىۗ٤١
Fa innal-jannata hiyal-ma'wā.
[41] 本当に天国こそが、(その)住処である。

يَسْـَٔلُوْنَكَ عَنِ السَّاعَةِ اَيَّانَ مُرْسٰىهَاۗ٤٢
Yas'alūnaka ‘anis-sā‘ati ayyāna mursāhā.
[42] (使徒*よ、)彼ら(シルク*の徒)は、(嘲笑しつつ)あなたに尋ねる。一体いつ、(復活の)その時はやって来るのか、と。

فِيْمَ اَنْتَ مِنْ ذِكْرٰىهَاۗ٤٣
Fīma anta min żikrāhā.
[43] (使徒*よ、)あなたは、それを話すことに何の関りがあるのか?

اِلٰى رَبِّكَ مُنْتَهٰىهَاۗ٤٤
Ilā rabbika muntahāhā.
[44] あなたの主*にこそ、その(知識の)終着点が属するのだから。¹
1 高壁章187も参照。

اِنَّمَآ اَنْتَ مُنْذِرُ مَنْ يَّخْشٰىهَاۗ٤٥
Innamā anta munżiru may yakhsyāhā.
[45] あなたは、それを恐れる者への警告者に過ぎないのだ。

كَاَنَّهُمْ يَوْمَ يَرَوْنَهَا لَمْ يَلْبَثُوْٓا اِلَّا عَشِيَّةً اَوْ ضُحٰىهَا ࣖ٤٦
Ka'annahum yauma yaraunahā lam yalbaṡū illā ‘asyiyyatan au ḍuḥāhā.
[46] 彼らが、それ(復活)を目の当たりにする日、彼らは(その余りの恐怖ゆえ、現世において)あたかも(一日の)午後か、あるいは午前中しか過ごさなかったかのようである¹。
1 ユーヌス*章45とその訳注、及びター・ハー章103、信仰者たち章114-114、ビザンチン章55、砂丘章35も参照。