Surah Al-Mursalat
بِسْمِ اللّٰهِ الرَّحْمٰنِ الرَّحِيْمِ
وَالْمُرْسَلٰتِ عُرْفًاۙ١
Wal-mursalāti ‘urfā(n).
[1]
立て続けに送られるものにかけて、
فَالْعٰصِفٰتِ عَصْفًاۙ٢
Fal-‘āṣifāti ‘aṣfā(n).
[2]
また、轟々という吹き荒れるものにかけて、
وَّالنّٰشِرٰتِ نَشْرًاۙ٣
Wan-nāsyirāti nasyrā(n).
[3]
また、広く拡散するもの¹にかけて、
1 何を「拡散する」かについては、「雲」「雨」「行いの帳簿(ちょうぼ)」などといった諸説がある(アル=クルトゥビー19:155参照)。
فَالْفٰرِقٰتِ فَرْقًاۙ٤
Fal-fāriqāti farqā(n).
[4]
また、しっかりと分断するもの¹にかけて、
1 「真理と虚妄(きょもう)を分断する啓示と共に下る天使*たち」「雲を分散させる風」といった解釈がある(前掲書、同頁参照)。
فَالْمُلْقِيٰتِ ذِكْرًاۙ٥
Fal-mulqiyāti żikrā(n).
[5]
また、教訓を投げかけるもの¹たちにかけて(誓う)。²
1 アッラー*から啓示を授かり、それを預言者*たちへと伝える天使*たちのこと(ムヤッサル580頁参照)。 2 アーヤ*1-5で言及されている「誓い」については、整列者章1の訳注を参照。尚イブン・カスィール*によれば、これらの誓われているものについては、アーヤ*5を除き、それらが天使*のことを示しているか、あるいは風そのものであるかで、学者間の解釈の相違がある(8:297参照)。
عُذْرًا اَوْ نُذْرًاۙ٦
‘Użran au nużrā(n).
[6]
弁解¹、あるいは警告ゆえに。
1 啓示によって、人々のアッラー*に対する弁解の余地はなくなる(ムヤッサル580頁参照)。関連するアーヤ*として、婦人章165、家畜章131、155-157、夜の旅章15とその訳注、ター・ハー章134、詩人たち章208、創成者*章24も参照。
اِنَّمَا تُوْعَدُوْنَ لَوَاقِعٌۗ٧
Innamā tū‘adūna lawāqi‘(un).
[7]
あなた方に約束されていること¹は、確実に起こるのである。
1 「約束されていること」とは、復活の日*と、そこでの清算や報いのこと(ムヤッサル580頁参照)。
فَاِذَا النُّجُوْمُ طُمِسَتْۙ٨
Fa iżan-nujūmu ṭumisat.
[8]
星々(の光)が消された時、
وَاِذَا السَّمَاۤءُ فُرِجَتْۙ٩
Wa iżas-samā'u furijat.
[9]
また、天が割れた時、
وَاِذَا الْجِبَالُ نُسِفَتْۙ١٠
Wa iżal-jibālu nusifat.
[10]
また、山々が粉々にされた時、¹
1 復活の日*の天変地異の様子については洞窟章47、ター・ハー章105-107、蟻章88、山章9-10、出来事章5-6、衣を纏(まと)う者章14、階段章8-9、消息章20、巻き込む章3、衝撃章4-5なども参照。
وَاِذَا الرُّسُلُ اُقِّتَتْۗ١١
Wa iżar-rusulu uqqitat.
[11]
また、使徒*たちが(、その民との決着まで、)時間¹を定められた時、
1 これは、使徒*たちが自分たちの民について証言する、復活の日*のこと(アル=バガウィー5:196参照)。婦人章41とその訳注も参照。
لِاَيِّ يَوْمٍ اُجِّلَتْۗ١٢
Li'ayyi yaumin ujjilat.
[12]
(彼らには、こう言われる。)「一体、いずれの(偉大なる)日まで、(使徒*たちは)延期されたのか?
لِيَوْمِ الْفَصْلِۚ١٣
Liyaumil-faṣl(i).
[13]
裁決の日¹まで、である」。
1 「裁決の日」については、整列者章21の訳注を参照。
وَمَآ اَدْرٰىكَ مَا يَوْمُ الْفَصْلِۗ١٤
Wa mā adrāka mā yaumul-faṣl(i).
[14]
(人間よ、)裁決の日が何かを、あなたに知らせるのは何か?
وَيْلٌ يَّوْمَىِٕذٍ لِّلْمُكَذِّبِيْنَ١٥
Wailuy yauma'iżil lil-mukażżibīn(a).
[15]
その日、(復活の日*を)噓呼ばわりしていた者たちに、災いあれ。
اَلَمْ نُهْلِكِ الْاَوَّلِيْنَۗ١٦
Alam nuhlikil-awwalīn(a).
[16]
われら*は、(自分たちの使徒*を噓つき呼ばわりしたことゆえ、)昔の人々を滅ぼしたのではなかったか?
ثُمَّ نُتْبِعُهُمُ الْاٰخِرِيْنَ١٧
Ṡumma nutbi‘uhumul-ākhirīn(a).
[17]
それから、われら*は(彼らと同様であった)後代の者たちを、彼らに続かせるのだ。
كَذٰلِكَ نَفْعَلُ بِالْمُجْرِمِيْنَ١٨
Każālika naf‘alu bil-mujrimīn(a).
[18]
そのように、われら*は(使徒*ムハンマド*を噓つき呼ばわりした)罪悪者たちに対して、するのである。
وَيْلٌ يَّوْمَىِٕذٍ لِّلْمُكَذِّبِيْنَ١٩
Wailuy yauma'iżil lil-mukażżibīn(a).
[19]
(復活の)その日、(アッラーの唯一性*と、使徒*と、復活と報いを)嘘呼ばわりしていた者たちに、災いあれ。
اَلَمْ نَخْلُقْكُّمْ مِّنْ مَّاۤءٍ مَّهِيْنٍۙ٢٠
Alam nakhluqkum mim mā'im mahīn(in).
[20]
(不信仰者*たちよ、)われら*はあなた方を、卑しい液体¹から創ったのではないか?
1 「卑しい液体」については、アッ=サジダ*章8の訳注を参照。
فَجَعَلْنٰهُ فِيْ قَرَارٍ مَّكِيْنٍ٢١
Fa ja‘alnāhu fī qarārim makīn(in).
[21]
そしてそれを、しっかりとした定着場¹に設えたのでは?
1 「しっかりとした定着場」については、信仰者たち章13の訳注を参照。
اِلٰى قَدَرٍ مَّعْلُوْمٍۙ٢٢
Ilā qadarim ma‘lūm(in).
[22]
定められた階段¹まで。
1 つまり、出産の時期のこと(アル=バガウィー5:197参照)。
فَقَدَرْنَاۖ فَنِعْمَ الْقٰدِرُوْنَ٢٣
Fa qadarnā, fani‘mal-qādirūn(a).
[23]
われら*は、(その創造、造形、出産を)調整したのだ。調整するお方の何と素晴らしいことか。
وَيْلٌ يَّوْمَىِٕذٍ لِّلْمُكَذِّبِيْنَ٢٤
Wailuy yauma'iżil lil-mukażżibīn(a).
[24]
(復活の)その日、(われら*の力を)噓呼ばわりしていた者たちに、災いあれ。
اَلَمْ نَجْعَلِ الْاَرْضَ كِفَاتًاۙ٢٥
Alam naj‘alil-arḍa kifātā(n).
[25]
われら*は大地を、収容するものとしたのではないか?
اَحْيَاۤءً وَّاَمْوَاتًاۙ٢٦
Aḥyā'aw wa amwātā(n).
[26]
(数えきれないほどの)生者たちと死者たちを(、収容するものと)?
وَّجَعَلْنَا فِيْهَا رَوَاسِيَ شٰمِخٰتٍ وَّاَسْقَيْنٰكُمْ مَّاۤءً فُرَاتًاۗ٢٧
Wa ja‘alnā fīhā rawāsiya syāmikhātiw wa asqainākum mā'an furātā(n).
[27]
また、われら*はそこ(大地)に、高く聳える堅固な山々を置き、あなた方に美味なる水を飲ませてやった。
وَيْلٌ يَّوْمَىِٕذٍ لِّلْمُكَذِّبِيْنَ٢٨
Wailuy yauma'iżil lil-mukażżibīn(a).
[28]
(復活の)その日、(これらの恩恵を)噓呼ばわりしていた者たちに、災いあれ。
اِنْطَلِقُوْٓا اِلٰى مَا كُنْتُمْ بِهٖ تُكَذِّبُوْنَۚ٢٩
Inṭaliqū ilā mā kuntum bihī tukażżibūn(a).
[29]
(復活の日*、不信仰者*たちには、こう言われる。)「(現世で)あなた方が噓呼ばわりしていたもの(地獄の懲罰)へと、進み行くがよい。
اِنْطَلِقُوْٓا اِلٰى ظِلٍّ ذِيْ ثَلٰثِ شُعَبٍ٣٠
Inṭaliqū ilā ẓillin żī ṡalāṡi syu‘ab(in).
[30]
三つ又の¹(煙の)陰へと、進み行け」。
1 燃え立つ炎と共に上る煙が、その激しさゆえに三本に分かれる様子とされる(イブン・カスィール8:299参照)。
لَا ظَلِيْلٍ وَّلَا يُغْنِيْ مِنَ اللَّهَبِۗ٣١
Lā ẓalīliw wa lā yugnī minal-lahab(i).
[31]
濃影でもなく、炎から防いでもくれない(陰へ)。
اِنَّهَا تَرْمِيْ بِشَرَرٍ كَالْقَصْرِۚ٣٢
Innahā tarmī bisyararin kal-qaṣr(i).
[32]
実にそれ(地獄)は、城のような(巨大な)火花を飛ばす。
كَاَنَّهٗ جِمٰلَتٌ صُفْرٌۗ٣٣
Ka'annahū jimālatun ṣufr(un).
[33]
まるで、黄褐色のラクダの一群¹のような(火花を)。
1 その大きさ、色、炎から飛び散って遠ざかっていく動きが、黄褐色のラクダの一群に例えられているのだという(イブン・アーシュール29:437参照)。また、黄褐色ではなく黒色という説もある(イブン・カスィール8:299参照)。
وَيْلٌ يَّوْمَىِٕذٍ لِّلْمُكَذِّبِيْنَ٣٤
Wailuy yauma'iżil lil-mukażżibīn(a).
[34]
(復活の)その日、(アッラー*の警告を)噓呼ばわりしていた者たちに、災いあれ。
هٰذَا يَوْمُ لَا يَنْطِقُوْنَۙ٣٥
Hāżā yaumu lā yanṭiqūn(a).
[35]
これは、彼ら(噓呼ばわりしていた者たちが、自分たちを益することを)喋ることがない¹(復活の)日*。
1 復活の日、「喋ることがない」ことについては、夜の旅章97の訳注も参照。
وَلَا يُؤْذَنُ لَهُمْ فَيَعْتَذِرُوْنَ٣٦
Wa lā yu'żanu lahum fa ya‘tażirūn(a).
[36]
また、彼らに(弁明が)許可されることで、言い訳することもない(日)。
وَيْلٌ يَّوْمَىِٕذٍ لِّلْمُكَذِّبِيْنَ٣٧
Wailuy yauma'iżil lil-mukażżibīn(a).
[37]
(復活の)その日、(この日の出来事を)噓呼ばわりしていた者たちに、災いあれ。
هٰذَا يَوْمُ الْفَصْلِ جَمَعْنٰكُمْ وَالْاَوَّلِيْنَ٣٨
Hāżā yaumul-faṣli jama‘nākum wal-awwalīn(a).
[38]
これは裁決の日¹。われら*はあなた方(不信仰者*たち)と、昔の(不信仰だった)人々を集結させた。
1 「裁決の日」については、整列者章21の訳注を参照。
فَاِنْ كَانَ لَكُمْ كَيْدٌ فَكِيْدُوْنِ٣٩
Fa'in kāna lakum kaidun fakīdūn(i).
[39]
それで、もしあなた方に(懲罰から逃れる)策略があるのなら、われら*に策略してみよ。
وَيْلٌ يَّوْمَىِٕذٍ لِّلْمُكَذِّبِيْنَ ࣖ٤٠
Wailuy yauma'iżil lil-mukażżibīn(a).
[40]
(復活の)その日、(復活の日*を)噓呼ばわりしていた者たちに、災いあれ。
اِنَّ الْمُتَّقِيْنَ فِيْ ظِلٰلٍ وَّعُيُوْنٍۙ٤١
Innal-muttaqīna fī ẓilāliw wa ‘uyūn(in).
[41]
本当に敬虔な*者たちは、(その日、木々の)陰と泉のもとにある。
وَّفَوَاكِهَ مِمَّا يَشْتَهُوْنَۗ٤٢
Wa fawākiha mimmā yasytahūn(a).
[42]
また、自分たちが欲する果実のもとに。
كُلُوْا وَاشْرَبُوْا هَنِيْۤـًٔا ۢبِمَا كُنْتُمْ تَعْمَلُوْنَ٤٣
Kulū wasyrabū hanī'am bimā kuntum ta‘malūn(a).
[43]
(彼らには、こう言われる。)「自分たちが(現世で)行っていた(正しい)こと(の報い)ゆえに、おいしく食べ、飲むのだ。¹
1 天国の民の飲食物については、ヤー・スィーン章57、整列者章45-47、サード章51、詳細にされた章31、金の装飾章73、煙霧章55、ムハンマド*章15、山章22、慈悲あまねき*お方章52、68、出来事章17-21、真実章23、人間章5-6、14、17-18、21、消息章34、量を減らす者たち章25-28も参照。
اِنَّا كَذٰلِكَ نَجْزِى الْمُحْسِنِيْنَ٤٤
Innā każālika najzil-muḥsinīn(a).
[44]
本当に、われら*はこのように、善を尽くす者¹たちに報いるのだから」。
1 「善を尽くす者」については、蜜蜂章128の訳注を参照。
وَيْلٌ يَّوْمَىِٕذٍ لِّلْمُكَذِّبِيْنَ٤٥
Wailuy yauma'iżil lil-mukażżibīn(a).
[45]
(復活の)その日、(報いと清算を)噓呼ばわりしていた者たちに、災いあれ。
كُلُوْا وَتَمَتَّعُوْا قَلِيْلًا اِنَّكُمْ مُّجْرِمُوْنَ٤٦
Kulū wa tamatta‘ū qalīlan innakum mujrimūn(a).
[46]
(不信仰者*たちよ、)僅かな間、食べ、楽しむがよい。本当にあなた方は、(シルク*という罪を犯す)罪悪者なのだ。
وَيْلٌ يَّوْمَىِٕذٍ لِّلْمُكَذِّبِيْنَ٤٧
Wailuy yauma'iżil lil-mukażżibīn(a).
[47]
(復活の)その日、(清算と報いの日を)噓呼ばわりしていた者たちに、災いあれ。
وَاِذَا قِيْلَ لَهُمُ ارْكَعُوْا لَا يَرْكَعُوْنَ٤٨
Wa iżā qīla lahumurka‘ū lā yarka‘ūn(a).
[48]
彼ら(シルク*の徒)は、自分たちに「ルクーゥ*せよ」と言われても、ルクーゥ*しない。¹
1 つまり、礼拝せよ、と言われてもしないということ(ムヤッサル581頁参照)。 一説には、これは復活の日*のこと(アル=バガウィー5:198-199参照)。筆章42-43とその訳注も参照。
وَيْلٌ يَّوْمَىِٕذٍ لِّلْمُكَذِّبِيْنَ٤٩
Wailuy yauma'iżil lil-mukażżibīn(a).
[49]
(復活の)その日、(アッラー*の御徴を)噓呼ばわりしていた者たちに、災いあれ。
فَبِاَيِّ حَدِيْثٍۢ بَعْدَهٗ يُؤْمِنُوْنَ ࣖ ۔٥٠
Fa bi'ayyi ḥadīṡim ba‘dahū yu'minūn(a).
[50]
ならば一体、彼らはそれ(クルアーン*)を差しおいて、いかなる話を信じるというのか?