Surah Ar-Rahman
بِسْمِ اللّٰهِ الرَّحْمٰنِ الرَّحِيْمِ
اَلرَّحْمٰنُۙ١
Ar-raḥmān(u).
[1]
慈悲あまねき*お方、
عَلَّمَ الْقُرْاٰنَۗ٢
‘Allamal-qur'ān(a).
[2]
かれがクルアーン*を教えて下さり、
خَلَقَ الْاِنْسَانَۙ٣
Khalaqal-insān(a).
[3]
人間を創造しされ、
عَلَّمَهُ الْبَيَانَ٤
‘Allamahul-bayān(a).
[4]
彼に(自分の内面にあるものの、)説明を教えて下さった。
اَلشَّمْسُ وَالْقَمَرُ بِحُسْبَانٍۙ٥
Asy-syamsu wal-qamaru biḥusbān(in).
[5]
太陽と月は(精密な)計算のもとに(運行し)、
وَّالنَّجْمُ وَالشَّجَرُ يَسْجُدَانِ٦
Wan-najmu wasy-syajaru yasjudān(i).
[6]
草と木¹は、サジダ*する²。
1 この「木」とは、「茎(くき)や幹(みき)のある植物」のこと。尚「星(ナジュム)」の解釈には、「茎や幹のない植物」という説もある(ムヤッサル531頁参照)。 2 この「サジダ*」については、蜜蜂章49,巡礼*章18とその訳注も参照。
وَالسَّمَاۤءَ رَفَعَهَا وَوَضَعَ الْمِيْزَانَۙ٧
Was-samā'a rafa‘ahā wa waḍa‘al-mīzān(a).
[7]
そしてかれは天を上げ、秤¹を置かれた。
1 この「秤」とは、公正さのこととされる。鉄章25も参照(イブン・カスィール7:490参照)。
اَلَّا تَطْغَوْا فِى الْمِيْزَانِ٨
Allā taṭgau fil-mīzān(i).
[8]
あなた方が秤において、度を越さないよう。
وَاَقِيْمُوا الْوَزْنَ بِالْقِسْطِ وَلَا تُخْسِرُوا الْمِيْزَانَ٩
Wa aqīmul-wazna bil-qisṭi wa lā tukhsirul-mīzān(a).
[9]
そして重さを公正に量り、秤を損ねてはならない。
وَالْاَرْضَ وَضَعَهَا لِلْاَنَامِۙ١٠
Wal-arḍa waḍa‘ahā lil-anām(i).
[10]
また大地は、それを創造物¹のために置かれた。
1 この「創造物(アナーム)は、特に人間のこと、あるいはジン*と人間のことを指す、という説もある(アル=クルトゥビー17:155参照)。
فِيْهَا فَاكِهَةٌ وَّالنَّخْلُ ذَاتُ الْاَكْمَامِۖ١١
Fīhā fākihatuw wan-nakhlu żātul-akmām(i).
[11]
そこには果実や、苞¹をつけたナツメヤシの木がある。
1 「苞」とは、ナツメヤシの実がその中から出てくる、覆いの部分のこと(ムヤッサル531頁参照)。
وَالْحَبُّ ذُو الْعَصْفِ وَالرَّيْحَانُۚ١٢
Wal-ḥabbu żul-‘aṣfi war-raiḥān(u).
[12]
そして茎葉を有する種粒と、芳しいもの¹が。
1 「芳しいもの」については、出来事章89の訳注を参照。
فَبِاَيِّ اٰلَاۤءِ رَبِّكُمَا تُكَذِّبٰنِ١٣
Fa bi'ayyi ālā'i rabbikumā tukażżibān(i).
[13]
ならば(ジン*と人間よ)、あなた方双方は自分たちの主*の、いずれの恩徳を嘘呼ばわりするというのか?
خَلَقَ الْاِنْسَانَ مِنْ صَلْصَالٍ كَالْفَخَّارِ١٤
Khalaqal-insāna min ṣalṣālin kal-fakhkhār(i).
[14]
かれ(アッラー*)は人間(の祖アーダム*)を、陶土のような乾いた土からお創りになり、¹
1 アーダム*が土から階段を経(へ)て 創られたことについては、アル=ヒジュル章26の訳注を参照。
وَخَلَقَ الْجَاۤنَّ مِنْ مَّارِجٍ مِّنْ نَّارٍۚ١٥
Wa khalaqal-jānna mim mārijim min nār(in).
[15]
ジン*(イブリース*)は、炎の混じり合ったもの¹から創られた。
1 「炎の先」「混じり気のない火」といった解釈もある(イブン・カスィール7:492参照)。
فَبِاَيِّ اٰلَاۤءِ رَبِّكُمَا تُكَذِّبٰنِ١٦
Fa bi'ayyi ālā'i rabbikumā tukażżibān(i).
[16]
ならば(ジン*と人間よ)、あなた方双方は自分たちの主*の、いずれの恩徳を嘘呼ばわりするというのか?
رَبُّ الْمَشْرِقَيْنِ وَرَبُّ الْمَغْرِبَيْنِۚ١٧
Rabbul-masyriqaini wa rabbul-magribain(i).
[17]
(アッラー*は)二つの東と、二つの西の主*。¹
1 「二つの東」とは、それぞれ冬と夏に太陽が昇る地点で、「二つの西」とは、それぞれ冬と夏に太陽が沈む地点のことを指す、とされる(アル=バガウィー4:26参照)。
فَبِاَيِّ اٰلَاۤءِ رَبِّكُمَا تُكَذِّبٰنِ١٨
Fa bi'ayyi ālā'i rabbikumā tukażżibān(i).
[18]
ならば(ジン*と人間よ)、あなた方双方は自分たちの主*の、いずれの恩徳を嘘呼ばわりするというのか?
مَرَجَ الْبَحْرَيْنِ يَلْتَقِيٰنِۙ١٩
Marajal-baḥraini yaltaqiyān(i).
[19]
かれは二つの海¹を出合わせて、合流するものとされた。
1 この「二つの海」とは一説に、淡水と海水のこと(ムヤッサル532頁参照)。
بَيْنَهُمَا بَرْزَخٌ لَّا يَبْغِيٰنِۚ٢٠
Bainahumā barzakhul lā yabgiyān(i).
[20]
その二つの間には、お互いに越え合うことのない障壁がある。¹
1 一方の海は、別の海を越境(えっきょう)して、その水の特性を変えてしまうことがない、という意味とされる(ムヤッサル532頁参照)。識別章53も参照。
فَبِاَيِّ اٰلَاۤءِ رَبِّكُمَا تُكَذِّبٰنِ٢١
Fa bi'ayyi ālā'i rabbikumā tukażżibān(i).
[21]
ならば(ジン*と人間よ)、あなた方双方は自分たちの主*の、いずれの恩徳を嘘呼ばわりするというのか?
يَخْرُجُ مِنْهُمَا اللُّؤْلُؤُ وَالْمَرْجَانُۚ٢٢
Yakhruju minhumal-lu'lu'u wal-marjān(u).
[22]
その二つからは、真珠と赤珊瑚が産する。¹
1 「赤珊瑚」には、「小さな真珠」「大きな真珠」といった解釈もある(アル=クルトゥビー17:163参照)。
فَبِاَيِّ اٰلَاۤءِ رَبِّكُمَا تُكَذِّبٰنِ٢٣
Fa bi'ayyi ālā'i rabbikumā tukażżibān(i).
[23]
ならば(ジン*と人間よ)、あなた方双方は自分たちの主*の、いずれの恩徳を嘘呼ばわりするというのか?
وَلَهُ الْجَوَارِ الْمُنْشَاٰتُ فِى الْبَحْرِ كَالْاَعْلَامِۚ٢٤
Wa lahul-jawāril-munsya'ātu fil-baḥri kal-a‘lām(i).
[24]
かれ(アッラー*)には、山々のような建造物である、海を走るもの¹が属する。
1 高いマストと帆(ほ)を揚げた、船の描写(ムヤッサル532頁参照)。 相談章32-34も参照。
فَبِاَيِّ اٰلَاۤءِ رَبِّكُمَا تُكَذِّبٰنِ ࣖ٢٥
Fa bi'ayyi ālā'i rabbikumā tukażżibān(i).
[25]
ならば(ジン*と人間よ)、あなた方双方は自分たちの主*の、いずれの恩徳を嘘呼ばわりするというのか?
كُلُّ مَنْ عَلَيْهَا فَانٍۖ٢٦
Kullu man ‘alaihā fān(in).
[26]
そこ(大地)にある全てのものは、消え行く。
وَّيَبْقٰى وَجْهُ رَبِّكَ ذُو الْجَلٰلِ وَالْاِكْرَامِۚ٢٧
Wa yabqā wajhu rabbika żul-jalāli wal-ikrām(i).
[27]
そしてあなたの主*の、高貴さと荘厳さを湛えた御顔だけが残る。
فَبِاَيِّ اٰلَاۤءِ رَبِّكُمَا تُكَذِّبٰنِ٢٨
Fa bi'ayyi ālā'i rabbikumā tukażżibān(i).
[28]
ならば(ジン*と人間よ)、あなた方双方は自分たちの主*の、いずれの恩徳を嘘呼ばわりするというのか?
يَسْـَٔلُهٗ مَنْ فِى السَّمٰوٰتِ وَالْاَرْضِۗ كُلَّ يَوْمٍ هُوَ فِيْ شَأْنٍۚ٢٩
Yas'aluhū man fis-samāwāti wal-arḍ(i), kulla yaumin huwa fī sya'n(in).
[29]
諸天と大地にある者は、かれに(自分たちの必要なものを)乞う。毎日、かれは事にあたっておられる¹。
1 「事にあたる」というのは、事を新たに始めるのではなく、(既に定めたことを)実現していくこと(イブン・ジュザイ2:394参照)。
فَبِاَيِّ اٰلَاۤءِ رَبِّكُمَا تُكَذِّبٰنِ٣٠
Fa bi'ayyi ālā'i rabbikumā tukażżibān(i).
[30]
ならば(ジン*と人間よ)、あなた方双方は自分たちの主*の、いずれの恩徳を嘘呼ばわりするというのか?
سَنَفْرُغُ لَكُمْ اَيُّهَ الثَّقَلٰنِۚ٣١
Sanafrugu lakum ayyuhaṡ-ṡaqalān(i).
[31]
重き双方の者たちよ¹、じきにわれら*は、あなた方(の現世での行いの清算と報いの仕事)に、取りかかろう。
1 「重き双方の者たち」とは、ジン*と人間のこと。その名称の由来には、「他の創造物に比べ、その重要な位置づけゆえ」「生前、死後を問わず、地上における荷物のような存在であるため」「罪という重荷を背負っているため」(アル=バガウィー4:336参照)「アッラー*に対する諸々の義務が課せられているため」(アル=クルトゥビー17:169参照)といった諸説がある。
فَبِاَيِّ اٰلَاۤءِ رَبِّكُمَا تُكَذِّبٰنِ٣٢
Fa bi'ayyi ālā'i rabbikumā tukażżibān(i).
[32]
ならば(ジン*と人間よ)、あなた方双方は自分たちの主*の、いずれの恩徳を嘘呼ばわりするというのか?
يٰمَعْشَرَ الْجِنِّ وَالْاِنْسِ اِنِ اسْتَطَعْتُمْ اَنْ تَنْفُذُوْا مِنْ اَقْطَارِ السَّمٰوٰتِ وَالْاَرْضِ فَانْفُذُوْاۗ لَا تَنْفُذُوْنَ اِلَّا بِسُلْطٰنٍۚ٣٣
Yā ma‘syaral-jinni wal-insi inistaṭa‘tum an tanfużū min aqṭāris-samāwāti wal-arḍi fanfużū, lā tanfużūna illā bisulṭān(in).
[33]
ジン*と人間の衆よ、もしあなた方が(アッラー*のご命令とご決定から逃れようと)、諸天と大地の端々から脱出できるのであれば、脱出してみよ。あなた方は(アッラー*の)権威なしには、脱出することなど出来ないのだ。¹
1 これは復活の日*のこととも、現世でのこととも言われる(前掲書17:169-170参照)。
فَبِاَيِّ اٰلَاۤءِ رَبِّكُمَا تُكَذِّبٰنِ٣٤
Fa bi'ayyi ālā'i rabbikumā tukażżibān(i).
[34]
ならば(ジン*と人間よ)、あなた方双方は自分たちの主*の、いずれの恩徳を嘘呼ばわりするというのか?
يُرْسَلُ عَلَيْكُمَا شُوَاظٌ مِّنْ نَّارٍۙ وَّنُحَاسٌ فَلَا تَنْتَصِرَانِۚ٣٥
Yursalu ‘alaikumā syuwāẓum min nār(in), wa nuḥāsun falā tantaṣirān(i).
[35]
あなた方双方には、業火からの無煙の炎と(溶けた)銅¹が送られ、助けを得ることはない。
1 「無煙の炎」と訳した「シュワーズ」には、ほかにも「地獄から上がって遊離(ゆうり)した緑色の炎」「炎から生じたのではない煙」といった説もある。「銅(ヌハース)」については「炎を伴(ともな)わない 煙」「煮えたぎった油」などといった解釈もある(アッ=シャウカーニー5:182参照)。
فَبِاَيِّ اٰلَاۤءِ رَبِّكُمَا تُكَذِّبٰنِ٣٦
Fa bi'ayyi ālā'i rabbikumā tukażżibān(i).
[36]
ならば(ジン*と人間よ)、あなた方双方は自分たちの主*の、いずれの恩徳を嘘呼ばわりするというのか?
فَاِذَا انْشَقَّتِ السَّمَاۤءُ فَكَانَتْ وَرْدَةً كَالدِّهَانِۚ٣٧
Fa iżansyaqqatis-samā'u fa kānat wardatan kad-dihān(i).
[37]
(復活の日*、)天が裂け、真紅となり、溶けた脂¹のようになる時(、あなた方は恐るべきものを目にする)。²
1 「溶けた脂」という訳をあてた「ディハーン」の解釈には、「赤い皮」「赤毛の馬(季節によって色が変化するが、復活の日*の空も同様に色が変化する)」「油そのものではなく、それを撒(ま)いた時に見える様々な色」などといった諸説もある(アル=クルトゥビー17:173参照)。 2 復活の日*の天変地異については洞窟章47、ター・ハー章105-107、蟻章88,山章9-10,出来事章5-6,衣を纏(まと)う者章14,真実章13-15,階段章8-9、消息章20,巻き込む章3,衝撃章4-5なども参照。
فَبِاَيِّ اٰلَاۤءِ رَبِّكُمَا تُكَذِّبٰنِ٣٨
Fa bi'ayyi ālā'i rabbikumā tukażżibān(i).
[38]
ならば(ジン*と人間よ)、あなた方双方は自分たちの主*の、いずれの恩徳を嘘呼ばわりするというのか?
فَيَوْمَئِذٍ لَّا يُسْـَٔلُ عَنْ ذَنْۢبِهٖٓ اِنْسٌ وَّلَا جَاۤنٌّۚ٣٩
Fa yauma'iżil lā yus'alu ‘an żambihī insuw wa lā jānn(un).
[39]
その日、人間もジン*も、自分の罪について、尋ねられることはない。¹
1 アル=ヒジュル章92-93などにもあるように、クルアーン*の別の箇所には、アッラー*が彼らを問いただす描写が登場する。これに関しては、以下の様な回答がある:①一通り問いただされた後、彼らの口が封じられ、彼らの手や足が、彼らのしたことを話し出す(ヤー・スィーン章65とその訳注も参照。 ②その日、全知のアッラー*は彼らに、「あなた方はこのようなことをしたのか?」というような言い方ではなく、「なぜ、このようなことをしたのか?」と仰せられる(高壁章8の訳注も参照)。③これは、彼らを地獄へと連れて行く天使*たちのことで、彼らは質問などしない(イブン・カスィール7:499参照)。
فَبِاَيِّ اٰلَاۤءِ رَبِّكُمَا تُكَذِّبٰنِ٤٠
Fa bi'ayyi ālā'i rabbikumā tukażżibān(i).
[40]
ならば(ジン*と人間よ)、あなた方双方は自分たちの主*の、いずれの恩徳を嘘呼ばわりするというのか?
يُعْرَفُ الْمُجْرِمُوْنَ بِسِيْمٰهُمْ فَيُؤْخَذُ بِالنَّوَاصِيْ وَالْاَقْدَامِۚ٤١
Yu‘raful-mujrimūna bisīmāhum fa yu'khażu bin-nawāṣī wal-aqdām(i).
[41]
罪悪者たちは、その目印によって認められ、前髪と足を掴まれ¹(て、地獄へと放り投げられ)る。
1 「前髪を掴まれる」という表現については、凝血*章15の訳注を参照。
فَبِاَيِّ اٰلَاۤءِ رَبِّكُمَا تُكَذِّبٰنِ٤٢
Fa bi'ayyi ālā'i rabbikumā tukażżibān(i).
[42]
ならば(ジン*と人間よ)、あなた方双方は自分たちの主*の、いずれの恩徳を嘘呼ばわりするというのか?
هٰذِهٖ جَهَنَّمُ الَّتِيْ يُكَذِّبُ بِهَا الْمُجْرِمُوْنَۘ٤٣
Hāżihī jahannamul-latī yukażżibu bihal-mujrimūn(a).
[43]
これが、罪悪者たちが(現世で)噓呼ばわりしている地獄。
يَطُوْفُوْنَ بَيْنَهَا وَبَيْنَ حَمِيْمٍ اٰنٍۚ٤٤
Yaṭūfūna bainahā wa baina ḥamīmin ān(in).
[44]
彼らはそれ(火獄)と、煮えたぎる熱湯の間を回る。
فَبِاَيِّ اٰلَاۤءِ رَبِّكُمَا تُكَذِّبٰنِ ࣖ٤٥
Fa bi'ayyi ālā'i rabbikumā tukażżibān(i).
[45]
ならば(ジン*と人間よ)、あなた方双方は自分たちの主*の、いずれの恩徳を嘘呼ばわりするというのか?
وَلِمَنْ خَافَ مَقَامَ رَبِّهٖ جَنَّتٰنِۚ٤٦
Wa liman khāfa maqāma rabbihī jannatān(i).
[46]
そして(清算の日における)自らの主*の立ち所を怖れ(、かれに服従し、かれへの反抗を断っ)た者には、二つの楽園がある。
فَبِاَيِّ اٰلَاۤءِ رَبِّكُمَا تُكَذِّبٰنِۙ٤٧
Fa bi'ayyi ālā'i rabbikumā tukażżibān(i).
[47]
ならば(ジン*と人間よ)、あなた方双方は自分たちの主*の、いずれの恩徳を嘘呼ばわりするというのか?
ذَوَاتَآ اَفْنَانٍۚ٤٨
Żawātā afnān(in).
[48]
(果実をつけた豊かな)樹枝を擁する(、二つの楽園が)。
فَبِاَيِّ اٰلَاۤءِ رَبِّكُمَا تُكَذِّبٰنِ٤٩
Fabi'ayyi ālā'i rabbikumā tukażżibān(i).
[49]
ならば(ジン*と人間よ)、あなた方双方は自分たちの主*の、いずれの恩徳を嘘呼ばわりするというのか?
فِيْهِمَا عَيْنٰنِ تَجْرِيٰنِۚ٥٠
Fīhimā ‘aināni tajriyān(i).
[50]
その二つの(楽園の)中には、二つの泉が流れている。
فَبِاَيِّ اٰلَاۤءِ رَبِّكُمَا تُكَذِّبٰنِ٥١
Fa bi'ayyi ālā'i rabbikumā tukażżibān(i).
[51]
ならば(ジン*と人間よ)、あなた方双方は自分たちの主*の、いずれの恩徳を嘘呼ばわりするというのか?
فِيْهِمَا مِنْ كُلِّ فَاكِهَةٍ زَوْجٰنِۚ٥٢
Fīhimā min kulli fākihatin zaujān(i).
[52]
その二つの(楽園の)中には、あらゆる果実に二つの種類がある。¹
1 この「二つの種類」の解釈については、「いずれも美味な二種類の果実」「瑞々(みずみず)しいものと乾燥したもの」「他の楽園に比べて、倍の楽しみがあることを示している」といった諸説がある(アル=クルトゥビー17:179参照)。また天国の民の食べ物については、ヤー・スィーン章57,サード章51,詳細にされた章31,金の装飾章73,煙霧章55,ムハンマド*章15,山章22,出来事章20-21,真実章23,人間章14,送られるもの章42なども参照。
فَبِاَيِّ اٰلَاۤءِ رَبِّكُمَا تُكَذِّبٰنِۚ٥٣
Fa bi'ayyi ālā'i rabbikumā tukażżibān(i).
[53]
ならば(ジン*と人間よ)、あなた方双方は自分たちの主*の、いずれの恩徳を嘘呼ばわりするというのか?
مُتَّكِـِٕيْنَ عَلٰى فُرُشٍۢ بَطَاۤىِٕنُهَا مِنْ اِسْتَبْرَقٍۗ وَجَنَا الْجَنَّتَيْنِ دَانٍۚ٥٤
Muttaki'īna ‘alā furusyim baṭā'inuhā min istabraq(in), wa janal-jannataini dān(in).
[54]
その内側が、重厚な絹地製¹の(敷き物である)寝床に寄りかかりつつ(、彼らはそこで楽しむ)。二つの楽園の果実が、(彼らの)手近にある中で。
1 内側が重厚な絹地なのだから、その外側が素晴らしいのは言うまでもない。一説によれば、その外側は地上で比較できるものがないために、あえて言及されてはいない(アル=バガウィー4:341参照)。
فَبِاَيِّ اٰلَاۤءِ رَبِّكُمَا تُكَذِّبٰنِ٥٥
Fa bi'ayyi ālā'i rabbikumā tukażżibān(i).
[55]
ならば(ジン*と人間よ)、あなた方双方は自分たちの主*の、いずれの恩徳を嘘呼ばわりするというのか?
فِيْهِنَّ قٰصِرٰتُ الطَّرْفِۙ لَمْ يَطْمِثْهُنَّ اِنْسٌ قَبْلَهُمْ وَلَا جَاۤنٌّۚ٥٦
Fīhinna qāṣirātuṭ-ṭarf(i), lam yaṭmiṡhunna insun qablahum wa lā jānn(un).
[56]
そこ(寝床)には、(自分の夫だけに)視線を定めた女性¹たちがいる。彼女たちには彼ら以前、いかなる人間も、ジン*も触れてはいない。
1 「視線を定めた女性」については、整列者章48の訳注を参照。
فَبِاَيِّ اٰلَاۤءِ رَبِّكُمَا تُكَذِّبٰنِۚ٥٧
Fa bi'ayyi ālā'i rabbikumā tukażżibān(i).
[57]
ならば(ジン*と人間よ)、あなた方双方は自分たちの主*の、いずれの恩徳を嘘呼ばわりするというのか?
كَاَنَّهُنَّ الْيَاقُوْتُ وَالْمَرْجَانُۚ٥٨
Ka'annahunnal-yāqūtu wal-marjān(u).
[58]
彼女たちは、まるでルビーと赤珊瑚¹のよう。
1 「赤珊瑚」については、アーヤ*22の訳注を参照。
فَبِاَيِّ اٰلَاۤءِ رَبِّكُمَا تُكَذِّبٰنِ٥٩
Fa bi'ayyi ālā'i rabbikumā tukażżibān(i).
[59]
ならば(ジン*と人間よ)、あなた方双方は自分たちの主*の、いずれの恩徳を嘘呼ばわりするというのか?
هَلْ جَزَاۤءُ الْاِحْسَانِ اِلَّا الْاِحْسَانُۚ٦٠
Hal jazā'ul-iḥsāni illal-iḥsān(u).
[60]
一体、(現世での)善の報いは、(来世での)善に外ならないのではないか?
فَبِاَيِّ اٰلَاۤءِ رَبِّكُمَا تُكَذِّبٰنِ٦١
Fa bi'ayyi ālā'i rabbikumā tukażżibān(i).
[61]
ならば(ジン*と人間よ)、あなた方双方は自分たちの主*の、いずれの恩徳を嘘呼ばわりするというのか?
وَمِنْ دُوْنِهِمَا جَنَّتٰنِۚ٦٢
Wa min dūnihimā jannatān(i).
[62]
そして、その二つの(楽園の)外に、(もう)二つの楽園がある。
فَبِاَيِّ اٰلَاۤءِ رَبِّكُمَا تُكَذِّبٰنِۙ٦٣
Fa bi'ayyi ālā'i rabbikumā tukażżibān(i).
[63]
ならば(ジン*と人間よ)、あなた方双方は自分たちの主*の、いずれの恩徳を嘘呼ばわりするというのか?
مُدْهَاۤمَّتٰنِۚ٦٤
Mudhāmmatān(i).
[64]
(緑濃く)黒ずんだ二つの(楽園が)。
فَبِاَيِّ اٰلَاۤءِ رَبِّكُمَا تُكَذِّبٰنِ٦٥
Fa bi'ayyi ālā'i rabbikumā tukażżibān(i).
[65]
ならば(ジン*と人間よ)、あなた方双方は自分たちの主*の、いずれの恩徳を嘘呼ばわりするというのか?
فِيْهِمَا عَيْنٰنِ نَضَّاخَتٰنِۚ٦٦
Fīhimā ‘aināni naḍḍākhatān(i).
[66]
その二つの(楽園の)中には、二つのほとばしる泉がある。
فَبِاَيِّ اٰلَاۤءِ رَبِّكُمَا تُكَذِّبٰنِۚ٦٧
Fa bi'ayyi ālā'i rabbikumā tukażżibān(i).
[67]
ならば(ジン*と人間よ)、あなた方双方は自分たちの主*の、いずれの恩徳を嘘呼ばわりするというのか?
فِيْهِمَا فَاكِهَةٌ وَّنَخْلٌ وَّرُمَّانٌۚ٦٨
Fīhimā fākihatuw wa nakhluw wa rummān(un).
[68]
その二つの(楽園の)中には、(各種の)果実、ナツメヤシの木、ザクロがある。¹
1 天国の食べ物については、ヤー・スィーン章57、サード章51、詳細にされた章31、金の装飾章73、煙霧章55、ムハンマド*章15、山章22、出来事章20-21、真実章23、人間章14、送られるもの章42なども参照。
فَبِاَيِّ اٰلَاۤءِ رَبِّكُمَا تُكَذِّبٰنِۚ٦٩
Fa bi'ayyi ālā'i rabbikumā tukażżibān(i).
[69]
ならば(ジン*と人間よ)、あなた方双方は自分たちの主*の、いずれの恩徳を嘘呼ばわりするというのか?
فِيْهِنَّ خَيْرٰتٌ حِسَانٌۚ٧٠
Fīhinna khairātun ḥisān(un).
[70]
それら(全ての楽園)の中には、善良で麗しき女性たちがいる。¹
1 雌牛章25「純潔な妻」の訳注、および整列者章48、煙霧章54の訳注も参照。
فَبِاَيِّ اٰلَاۤءِ رَبِّكُمَا تُكَذِّبٰنِۚ٧١
Fa bi'ayyi ālā'i rabbikumā tukażżibān(i).
[71]
ならば(ジン*と人間よ)、あなた方双方は自分たちの主*の、いずれの恩徳を嘘呼ばわりするというのか?
حُوْرٌ مَّقْصُوْرٰتٌ فِى الْخِيَامِۚ٧٢
Ḥūrum maqṣūrātun fil-khiyām(i).
[72]
天幕の中に滞留させられ(守られ)た、色白の女性たち。¹
1 雌牛章25「純潔な妻」の訳注、および整列者章48、煙霧章54の訳注も参照。
فَبِاَيِّ اٰلَاۤءِ رَبِّكُمَا تُكَذِّبٰنِۚ٧٣
Fa bi'ayyi ālā'i rabbikumā tukażżibān(i).
[73]
ならば(ジン*と人間よ)、あなた方双方は自分たちの主*の、いずれの恩徳を嘘呼ばわりするというのか?
لَمْ يَطْمِثْهُنَّ اِنْسٌ قَبْلَهُمْ وَلَا جَاۤنٌّۚ٧٤
Lam yaṭmiṡhunna insun qablahum wa lā jānn(un).
[74]
彼女たちには彼ら以前、いかなる人間も、ジン*も触れてはいない。
فَبِاَيِّ اٰلَاۤءِ رَبِّكُمَا تُكَذِّبٰنِۚ٧٥
Fa bi'ayyi ālā'i rabbikumā tukażżibān(i).
[75]
ならば(ジン*と人間よ)、あなた方双方は自分たちの主*の、いずれの恩徳を嘘呼ばわりするというのか?
مُتَّكِـِٕيْنَ عَلٰى رَفْرَفٍ خُضْرٍ وَّعَبْقَرِيٍّ حِسَانٍۚ٧٦
Muttaki'īna ‘alā rafrafin khuḍriw wa ‘abqariyyin ḥisān(in).
[76]
緑色のクッション¹と、精妙な敷き物に寄りかかりつつ(、彼らはそこで楽しむ)。
1 「クッション(ラフラフ)」には、「天国の庭園」「敷き物」「ソファーの類」といった別の解釈もある(アル=バガウィー4:346参照)。
فَبِاَيِّ اٰلَاۤءِ رَبِّكُمَا تُكَذِّبٰنِۚ٧٧
Fa bi'ayyi ālā'i rabbikumā tukażżibān(i).
[77]
ならば(ジン*と人間よ)、あなた方双方は自分たちの主*の、いずれの恩徳を嘘呼ばわりするというのか?
تَبٰرَكَ اسْمُ رَبِّكَ ذِى الْجَلٰلِ وَالْاِكْرَامِ ࣖ٧٨
Tabārakasmu rabbika żil-jalāli wal-ikrām(i).
[78]
高貴さと荘厳さを湛えた、あなたの主*の御名は、祝福にあふれていることよ。